TEDで垣間見る「妻中・いじめの授業」
…5人お揃いで買ったペンをなくしたら、4人が話しかけてくれなくなった。
…借りた本を汚してしまい、謝って返したけれど、陰で悪口を言われるようになった。
…発表会があるので遊びの誘いを断ったら、みんなが私だけ誘ってくれなくなった。
気にしすぎだよ。そんなの、「いじめ」とは言わないんじゃない?
あなたにも悪いところがあったんだから、自分ばっかり被害者みたいに言っちゃダメだよ。
子ども同士なんだから、いずれわかり合えるでしょ。人生は長いんだから大丈夫。
「大丈夫」の判断は、いったい何を基準にすればいいのでしょうか。
弁護士の真下麻理子先生はおっしゃいます。
「心身の苦痛が発生したら、その時点で“いじめ”です」。
大妻中野で道徳の時間、定期的に取り入れているのが、弁護士の先生による「いじめ防止授業」。
2013年の「いじめ防止対策推進法」制定後、法的見地から大人たちが腰を据えて「いじめ」と向き合う
流れが大きなものになっていこうとしています。
法という切り口から弁護士の先生方が語りかける言葉、それは子どもたち、大人たちそれぞれにとって
これまで持っていた意識を覆されるくらい意外なものです。
その意外さこそ、子どもたちが改めて「いじめ」を見つめ直すきっかけになるのだと確信します。
ピアニストが突き指をすること。
歌手が声帯を傷めること。
調香師が鼻風邪を患うこと。
突き指も声のかすれも鼻風邪も、大多数の人にとっては些細なトラブルに過ぎません。
何がその人にとって大きな問題となるか、何がその人の「核」をなしているか、それは本当に一人ひとり
違って当たり前なのです。だって、その「核」こそが、その人個人の尊厳なのだから。
世の中で取りあげられる「いじめ」は、すでに問題が肥大化し、爆発した段階のものばかりです。
ならば、取りあげられない小さな問題、くすぶっている問題は「いじめ」にあたらないのでしょうか。
種が芽吹き、枝葉が伸び、花が咲き、次の種をまき散らす前に、まず種そのものを生み出さないこと。
そのために私たちは何を知り、何を学ぶべきか。
今年1月、真下先生がTED(Technology Entertainment Design)×Himiに登壇され、プレゼンテーションを
なさいました。↓
お互いを思いやり、他人の成功を自分のことのように喜べる人に。他人の痛みは自分の痛みのように
感じられる人に。誰かのためにすすんで手を差しのべられる人に。
大妻中野生の心は、真下先生の目指すものに寄り添い、より豊かさを増しながら成長しています。