一学期終業式式辞
「限界に挑戦しよう」
校長 有賀 康修
今日で一学期を終えます。この4月から7月までの間、あなたはどのようなあなたでしたか。根無し草のように漂った毎日でしたか、それとも目標を定めてその実現に向けて努力を重ねた毎日でしたか。
今日は、たえず自分の限界に挑戦する土田和歌子さんに学びたいと思います。
東京都で昭和49年に生まれた土田和歌子さん(32歳)は、高校二年生のとき、山梨県で友人の車に同乗していて事故にあい、脊髄損傷で両足が不自由になりました。これからずっと車椅子の生活になる、そう分かったときは混乱しました。
土田さんの最初の挑戦は、本格的にスポーツを始めたことです。本格的に治療を始めた病院で、両足が不自由になった土田さんと同じで、車椅子に乗った人が自由自在に走り回り、生き生きとしていました。障害を持った人が訓練して克服している。土田さんは、私もできるようになりたい、勇気を持って新しい一歩を始めたのです。
第二の挑戦は、在学していた高校に戻って、復帰し卒業したことです。養護学校に行くこともできましたが、通学、学校生活、授業、みんなと同じことをやりぬきたかったのです。
第三は就職でした。東京都の職員採用試験に挑戦し、合格して高校卒業後は、東京都に公務員として勤務したのです。
第四はパラリンピック(障害者のオリンピック)出場です。
最初は、平成6年(1994)リレハンメルの冬季大会に参加しました。車椅子でバスケットボールや陸上競技に親しんでいた土田さんは、車いすをそり代わりに競走するアイススレッジの講習を受けました。ノルウェーのコーチから三ヶ月の特訓を受けた後、アイススレッジでリレハンメルの冬季大会に臨みました。結果は惨敗でした。この結果から彼女は次に挑戦する意欲を燃やしたのです。
平成10年の長野パラリンピックではアイススレッジスケート1500メートルなどで金、銀メダル獲得。平成12年シドニーではマラソンで銅メダル。平成16年アテネでは5000メートルで金、マラソンで銀メダル。この間、ホノルル、ボストンマラソンで優勝。挑戦を続けたのです。
第五の挑戦は、結婚と出産でした。平成17年にコーチの高橋慶樹さんと結婚、平成18年には長男を出産しました。出産は、下半身不随のため、帝王切開という選択もあったそうですが、土田さんは自然分娩にこだわりました。自分の体の残されている機能を全部使って自分の子供を生みたかったからです。
土田さんは言っています。「出産後、モチベーションがあがり、精神的にもさらに大きく成長した気がします。肉体的にも、今まで以上に、つらさに耐えられるようになったと思います。」「結果を出さなければならない競技と家庭の両立は悪戦苦闘の毎日ですが、これも私の生活だと受け止めています。」
第六の挑戦は、来年の北京パラリンピックで「ママが金」を獲得することです。北京に向けて大きな挑戦をするのです。
中学生の皆さん。あなたは、どのような目標を立てて、どのように毎日を過ごしたのでしょう。いろいろな角度で振り返って見ましょう。
家庭にあって、中学生としてできる役割分担をしっかり実行しましたか。具体的に何をやりましたか。保護者に学校の様子を正しく報告していましたか。自宅で復習を中心とした学習をきちんと行っていましたか。
学校において、中学生としての学習態度を続け、義務教育の学習内容を確実に身につけましたか。授業を受ける態度はどうでしたか。クラブ活動では自分の立場と役割を自覚し、みんなのために自分の向上の為に努力を重ねましたか。学級では、孤立してさびしい気持ちでいる友達にそっと声をかけることができましたか。掃除当番のとき、すすんで仕事を引き受け、当番の仲間を助けましたか。
よかった点、悪かった点を正確にとらえ、次に備えましょう。
みなさんは段々と自立への道を歩み始めます。自分の足でしっかり立ち、自分の歩む方向に向かって歩き始めていますか。それとも社会の動きや情報に動かされ、表面的な流行に付和雷同して生きていませんか。何が正しくて何が悪いのか、やってよいことと悪いことについて的確に判断できるようになって来ましたか。心の汚い人、心の狭い人と、心のきれいな人、こころの広い人の違いがわかるようになってきたと思います。こうありたいと思う自分に真実なることが幸福だといわれています。
自分が今なすべきだと思っている務めを自覚し、その務めを果たしましょう。
学校はこれから長期の休業に入ります。この時でないとできないこともあります。土田さんがたえず挑戦を通して自己実現を果たしているように、皆さんも部活動に、家族旅行に、夏の大学研究に、様々なプログラムで豊かな心と学びを深めてください。全員が元気な笑顔で新学期に集まれますように強く希望します。