妻中便り

大切な節目(中学卒業式)

竹に節目がなくては、ズンベラボーでとりとめがなくて、風雪に耐える

あの強さも生まれてこないであろう。

竹にはやはり、節がいるのである。

同様に、流れる年月にも、やはり節がいる。(中略)

常日頃考えられないことも考えてみたい。

 

中学校の卒業式、学年主任から保護者のみなさまへに向けたご挨拶のはじめに、「自身の卒業式」

というエピソードが語られました。

子どもの卒業式として親御さんがとりわけ強く記憶に残しているのは、「幼児」の枠を越えていく

保育園・幼稚園の卒園式。そして、義務教育が終わる中学校の卒業式なのだと。

子どもの人生において、大きな「節目」となる卒業のときは、どうしたって強く印象的な記憶として

残るものなのでしょう。

 

冒頭に挙げたのは、松下幸之助さんの言葉です。

ズンベラボーでとりとめのない毎日を過ごすとしたら、身体の成長はさておき、心を成長させることが

果たして可能でしょうか。ある節目を迎えた、という喜びが心の中に新たな意欲や責任感、目標を

見出させ、次の節目に向かわせる。節目を迎えるからこそ抱く感慨が、感謝の情や反省の念を生み

人としての幅を広げてくれる。強くしなやかに生きていくために、私たちは節目を設けるのかもしれません。

 

中高一貫校において、中学の卒業式が担う「節目」の役割は案外軽いように思われます。

でも、ここで義務教育が終わり、追究すべき学びがますます深いものになること。

中高生活が折り返し地点を迎え、先輩に面倒を見てもらう立場から後輩の面倒を見る立場に変わること。

それを思えば、この「節目」、思った以上に大きな存在だと分かります。

 

「節目」の大きさを実感するためでしょうか。今日で着慣れたセーラー服とはお別れ。

4月から卒業生たちは、グッと大人の雰囲気に近づくブレザー姿で登校することになります。

慣れないネクタイを着けるとき、「節目」の大きさを、今度は新入生として再び感じることでしょう。

 

 

 

 

一覧へ戻る