「異なる」を「重ねる」生き方(立教大・小倉教授講演)
「住所がなければ、町全体が、おまえのものだ」
D・ラフェリエール『甘い漂流』
「私は固い土の上に横たわることが出来たのだ。二百人しか収容できない難民キャンプに
受け入れられた二千人の難民の1人になれたという、神の祝福を受けた身なのだ」
キム・チュイ『小川』
異文化コミュニケーション学科教授による、フランス文化圏の女性の生き方講演、という言葉だけを
予備知識に午後のCosmosアゴラで席に着いた人は、最初のイメージと「異なる」話題の羅列に
驚いたかもしれません。
「異なる文化」「異なる言語」は、常にキチンと体裁の整った状態で、キレイにパッキングされて提供
されるとは限らないのです。
ときには目の前にゴロンと投げ出されているかもしれない、ときには、いやおうなく痛みや苦みを
ともなって味わわなければならないかもしれない、それもまた「異なる」に触れること。
現在大妻中野の生徒たちがその端っこに触れているかもしれない「異なる」世界。
つかんだ端っこの先には、限りなく広く、幾重にも重なる時空があるのです。
まっすぐ見たいものを見つめる目は、生きていく上で必要不可欠だというのは疑いようもありません。
そのまっすぐをなるべく多くの角度から、重ねていくこと。
重ねたものを合わせて考えること。
そこから見えてくる「生き方」は、懐の深い、味わいに満ちたものになるはずです。
生きること。それは一筋の道を歩んでいくようで、その歩みの下に何層にも重なった「異なる」を
踏みしめることでもあります。
明日から10月。夏服から重ね着の季節に移り変わる季節の変わり目。
「重ねる」ことの意味をもう一度考えてみるきっかけをいただきました。